即興演奏について
6月に行うデビューリサイタルでは大阪、東京、京都の3公演共に全編即興演奏によるプログラムを予定しています。即興演奏と言ってもあまりピンとこられない方も多いことと思いますので少し説明をさせて頂きたいと思います。
クラシック音楽の場合、即興演奏というのはとても珍しいことのように思われるかも知れませんが、歴史的に見てみると案外そうでないことが分かります。
ほとんどの歴史的な作曲家は即興の名人であったことは知られていますし、ギター音楽の世界でもそれは同じです。作曲家と演奏家の分業が一般化する20世紀に入って、楽譜通りに演奏するという習慣が根付き、現在僕達はその100年ほどの歴史の中にいます。
作曲家が作品を楽譜に記すとき、それはもともと内から沸き出る音楽的な自発性よりも、第三者に伝えるための普遍性や、または楽譜という枠の中に押し込めて書かれたもの、という風に僕は考えています。
作曲家自身の自演を聴く機会に恵まれたとき、多くの場合、楽譜にはできないような自由に満ち溢れていることがそれを示しています。(とは言うものの、作曲者自身がもともと楽譜の枠の中で作曲しているというケースも多々あると思いますが。)
なので演奏者は作曲者の音楽的自発性を十分に汲み取るべきで、そういう意味で楽譜から解き放たれることが大切だと思います。逆にそれを汲み取らずに、楽譜通りのきちんとした演奏というのは、僕はあまり良い音楽だとは感じません。
クラシックから離れて他ジャンルに目を向けてみると、即興というのはごく普通のことで、例え大まかな形はあっても、アドリブという形で即興が行われることはかなり多く、クラシック音楽ほど、完成された作品のみを演奏するという音楽スタイルは稀な方です。
人間のいるところには音楽がある。何万年、何十万年前の古代から音楽のようなものはあったはずですし、人間以外のほとんどの生物にも、何らかの形で音楽のようなものを持っていると思います。それらは内から出る自発性を持ったものだと思います。
楽譜というものは、音楽が高度なものに発展してきた上に生まれたもので、演奏者がそれを読み取って演奏することは大変貴重な伝統です。
しかし長所と短所は表裏一体であって、発展と後退も紙一重だと思います。楽譜の発展によって失われたものもあるはずです。ジャズやフラメンコ、あらゆるラテン音楽や世界の民族音楽がそのことに気付かせてくれます。
クラシック音楽の世界は別なスタイルの音楽表現、より自発性を重視した音楽表現にも目を向けても良いのではと思います。
楽器を問わず、クラシックの演奏家には大きく分けて、楽譜や音楽的背景に忠実な「従順タイプ」と、演奏者の個性が前面に出る「わがままタイプ」の2つに分けられるかと思いますが、僕は間違いなく「わがままタイプ」に入ると思います。僕には自分のカラー、自分の表現したいムードというものがまずあって、どんな作品を演奏するときもそれがどうしても出てしまうというタイプだと思います。
自分の音楽を追求するうち、即興演奏をするという発想が生まれてもうかれこれ10年近くになりますが、これは何よりも僕にとって自分の個性を最大限に表現することのできる手段です。
1つのコンサートをこういうアイデアで構成することについては賛否両論あることと思いますが、是非お聴き頂ければ幸いです。
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